樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

逆スイッチ

私は、息抜きに囲碁をするのが好きで、本当はもっと本業に力を入れるべきなのでしょうが、なかなかそうも行かないのが現状です。

そんなわけで、囲碁の本を時折買い求めるのですが、囲碁の世界において特に指導の分野で活躍されている石倉昇九段は、その指導書の中で次のようなことを言われています。

「「難しい」と思うと、脳の働きがストップしてしまうので要注意。「面白い」と感じると、脳が活性化されて、いろいろな形を吸収できるようになります!」

「難しい」から「面白い」という、全く逆の方向へ、自らスイッチを入れてしまう。

この操作を自分自身に施すことができるようになり、慣れてくると、非常に応用範囲が広く、今まで苦手だったことが少しずつ、あるいは劇的に好転する可能性があります。

以前、ご紹介した「フランクル教授」も、人生の最大の逆境を自分の糧にされたわけで、これもいわば「逆スイッチ」ではないかと思います。

また、これも以前に書きましたが、「食べない人」が餓死をしない理由も、このあたりにあるのではないかと想像できるのです。

私もはるか昔、小学校に上がりたての頃に、教室や廊下の掃除が余り好きになれず、どうしてもしなければならないのなら「楽しくやろう」と一大決心したことがあります。

未だに掃除に関しては色々ともがいていますが、今のところは「楽しく感じられる時までじっと待つ」といった具合で、「逆スイッチ」がなかなかカチンと入りません。

実際のところ、今までと違うことをやろうとする時は、余り劇的なことを望むものではないのかもしれません。

しかし、一旦「逆スイッチ」が入ってしまえばしめたもの、新しい世界が待っているのも事実です。

逆スイッチ