樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

向かう心

私は高校時代、剣道部に入っていました。日常の稽古は上級生が下級生を指導するという形でしたが、週に1度、金曜日だけは福島先生という方に稽古をつけてもらっていました。

そして、その福島先生の名を冠した「福島杯」という剣道大会が、先生を師と仰ぐОBの方々のご尽力等によって年に1度開催されていました。

関東圏内並びに静岡からも強豪校が集い、リーグ戦をするのですが、その当時、我が剣道部はなかなかメンバーが揃わぬような状況でしたので、「福島杯」に集うような強豪校と試合する機会はまずあり得ませんでした。

ということで、剣道の実力には如何ともしがたい歴然とした差がありまして、ある時、見るに見かねた先輩から「攪乱戦法でも何でもいいから、何かやってこい」と言われた私は、1本取るためにいつもと違うことをやって帰ってきました。しかし、それをご覧になっていた先生に呼び止められて、「君の剣道は、そういう剣道ではないだろう」とたしなめられたことがあります。

また先生は、稽古が済んだ後、色々なお話をして下さったものですが、そのお話の中で「勝っても負けても同じなんだよ…」と言われていました。

世の中には、試合(相手との対戦)に勝つことによって生計を立てている人がたくさんおられますが、福島先生の言われた「勝っても負けても…」の意味するところは、剣道修行において、あるいはさらに人生修行において、という意味だったのではないかと思われます。

勝って得ることもあれば、負けて得ることもある…。

私は、剣道修行の素晴らしさは何よりも「向かう心」を養うところにあるのではないかと思っています。

自分より大きいものに対して臆せずに向かっていく…、あるいは自分の中のくじけそうになる心に向かっていく…、その鍛錬が人生の修行につながっていく。

剣道は、命のやり取りをするところから出発していますが、「勝っても負けても同じなんだよ」という福島先生のお言葉は、正々堂々と、正面切って相手に向かっていく心こそが大事なんだということを教えて下さっていたのではないかと、今更ながらに思われるのです。

向かう心