樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

怒らない功徳

私は、お恥ずかしい限りですが、気が短い上にすぐに頭に血が上るところがあって、いつも反省をしています。

それと、「ここは怒らなければいけない場所だ」というような思い込みというのでしょうか、自分の持っている価値観を発揮したがるというか、どうも「怒る」という行為によって自分という存在をアピールしているのじゃないかと、冷静なときには思うのです。

そんな私のことではありますが、「とにかく一切怒らない」と心に決めて生活してみました。

すると、怒ると自分の血が濁る…ということが最近かなり意識できるようになってきたこともあって、自らの手で、自らの血を濁すことがなくなり、非常に体が楽になりました。

そして、怒らない生活をどうにかこうにか、何とか続けていると、人の様子を初め、静かに外界の景色を見ることが出来るようになってきて、今まで気がつかなかったことがほんの少しずつ見えてきたように思えます。

そして何よりも、すぐにカッとなっていた自分からは信じられないことですが、我慢の出来た自分自身を誇りに思えるような、わずかな悦びを感じるとでもいうのでしょうか、それほどのことが出来ているわけではないのに、そういう満足感に似た思いがするのです。

お釈迦さまが「忍(にん)の徳たること、持戒苦行(じかいくぎょう)も、及ぶこと能(あた)わざる所なり」と言われた如くに、怒る気持ちを忍んで、忍んで…忍び抜くところには、やはりそれ相応の功徳があるように思えるのです。

怒らない功徳