樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

自尊心の力

これは私が45歳頃のことで、まだ住職になる前のお話ですが、ある日、書店に山積みされたアレン・カー著「禁煙セラピー」という本に巡り合いました。

その本のサブタイトルには「読むだけで絶対やめられる」とありました。私は、お寺の見習い小僧のような忙しい中にありながら、一日に数本のタバコを何回にも分けて吸いつつストレスを解消しているつもりでした。

しかしその当時の私にとっては、タバコを吸いたいと思いながらも思うように吸えないということが非常なストレスになっていたことも事実で、もしやめられるのならばやめたいという気持ちが心の奥底にあり、「禁煙セラピー」とはまさにドンピシャリの出会いだったのかもしれません。

結局、この本を読んだおかげで私はタバコをやめることが出来たわけですが、一番の決め手になったのは「自尊心を取り戻したい」という強い思いにあったのではないかと思います。

タバコを吸いたいと思うのは実はニコチンがニコチンを呼び寄せるため、つまりニコチン中毒の症状で、タバコを吸うためにあれやこれや理屈をこねているのは全てニコチンのなせる業であり、言ってみればニコチンによって自分の意識が支配されてしまっている…。

私は、この本に書かれている主張に全く同感いたしまして、もうニコチンには支配されたくないという「自尊心の力」がむくむくと頭をもたげてきて、二十数年間吸い続けてきたタバコとの縁をようやく切ることが出来たというわけです。

そして、タバコをやめてみると、この世の中にはニコチンのように人の意識を支配しているものがまだまだあることに気がつきました。それは、例えばテレビのCMもそうですが、この世の中のありとあらゆる場所に潜んでいて、いつの間にか人の意識を支配しているのです。

「自尊心」はややもすると「自己チュウ」になる危険性もありますが、「自尊心の力」を呼び覚ますことによって、自分の意識を支配しようとする力に対抗出来るのではないかと思うのです。

自尊心の力