樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

目の前のニンジン

本堂正面の板戸を二日がかりで洗いました。

幅1.2メートル、高さ2.2メートルほどのガラス戸二枚と、同じ大きさのある板戸二枚の、合計四枚の結構大きな戸が本堂の正面に立ててあります。

夏の暑さにバテ気味でしたが、お盆に向かってどこから掃除に手を付けるかといったら、やはり本堂正面しかありません。

しかし、このところの重い体を動かし始めるために、目の前にぶら下げるニンジンを何にしようかと色々考えあぐねました。掃除が済んだら美味しいものを食べに行こうとか、気分転換にプールへ泳ぎに行こうとか…。しかしどんなニンジンをぶら下げても、今回ばかりはピクリとも体が動こうとしません。

そこで仕方なしに「とりあえずやり始めてしまう」という作戦に切り替えました。ただやはり、体の準備が出来ていなかったために、重い戸を外す時に油断して戸が向こうへ倒れかかってしまい、それを足のすねで支える格好になって、いきなり両すねの皮をむいてしまいました。やれやれ、かなり痛い思いをしましたが、そのお蔭でバテ気味の体に瞬時に緊張が走って目が覚め、重い体もお掃除モードに切り替わりました。

一日目に正面の四枚、二日目にその左右に立ててある普通の大きさの計八枚の戸を洗い終えて、本堂正面は晴れて夏仕様になりました。

これらの板戸が水洗いされてヒノキの木目が鮮やかに映り、本堂の中心が清々しく光ると、こちらの気持ちも明るく清々しくなるから不思議なものです。

結局、今年のお盆の掃除初めを起動するに当たって「目の前のニンジン作戦」は全く功を奏しませんでしたが、終わってみればそこにニンジンが落ちていたという、そんなことならなぜ最初から「やり終えた後の清々しい気分」がニンジンとしてぶら下がってくれなかったのか、と思うのであります。

修行の足りないことを痛感します…。

目の前のニンジン