樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

私の父は、私がちょうど八か月の赤ん坊のときに、二十九歳と一ト月と十一日という若さで交通事故に遭って他界しました。

私が父の享年を何故そんなに細かいところまで正確に言いたいのか、それには一つの訳があります。

父の記憶のない私には、佛壇に飾られて、いつも笑っている遺影が父であり、母や親類から聞かされる父の思い出話によって、私が頭の中で作り上げた人物が「父」でした。そんな中でよく聞かされた言葉が「お前はお父さんにそっくりだ」というもので、周りの人たちから折あるごとに繰り返されるこの言葉がどれほど私の心の中に暗い陰を落としていたかは、きっと誰にも分からなかっただろうと思います。

つまり、二十九歳と一ト月と十一日で死んでいった父にそっくりの私は、同じく二十九歳と一ト月と十一日で死んでいく運命にあるのではないかと、私は密かに恐れていたのです。また、自分がいつ死んでしまうか分からないその恐怖から、「いつ死んでもいい自分」の生き方を模索していたことも覚えています。

私は、比較的幼い頃からそのように、自分なりに死の恐怖と向き合ってきたわけですが、小学校を出るまでに、自分の記憶するだけでも三度、死に直面しました。

一度目は、小学校の昼の休み時間、校庭の鉄棒で遊んでいたときに頭から落ちて、地面から突き出ていた石の先端で七センチほど頭を切り、十針を縫う大怪我をしました。そのとき、そばで見ていた友だちの一人が私の頭をのぞき込んで、「頭の中身が見える」と言っていたのを覚えています。

二度目は、ある日曜日、公園で数人の友達と「カン蹴り」という遊びをしていたときのことです。ジュースなどの空き缶を公園の真ん中に立てて、一人が思い切り蹴ったその缶を鬼の一人が元に戻すまでに皆が逃げて隠れる…という遊びです。私は、缶が蹴られて一目散に公園の外へと走って逃げたところ、公園の入り口に車が止めてあったために道路を向こうから走ってきた車に気づかず衝突しました。衝突といっても、向こうは金属の車で、こちらは生身の小学生です。しかし間一髪、ほんの少しだけ車が早かったために、私はボンネットの上に飛び乗るような格好になって無事でした。このとき、もしも車ともう少し遅いタイミングで接触していたら、私は車に轢かれていたことだろうと思います。

そして三度目は、ある冬の日、小さな港の岸壁で、そこに積んであった砂の山を友だち数人と飛び越えて遊んでいたときのことです。私は、飛び越える一、二メートル先に海があるのは分かっていましたが、勢い余って砂にも滑り、冬の冷たい海に落ちてしまいました。まだろくに泳ぐこともできませんでしたし、冬の厚いジャンパーなども着込んでいました。

私は、無我夢中で立ち泳ぎしながら、コンクリート製の岸壁の小さな石のわずかな突起に懸命に指をかけ、「竿!竿!」と叫びました。砂山を飛び越えて遊んでいたのは、魚釣りに行ってもなかなか釣れずに遊んでいたもので、そこには釣り竿があったのです。私は、その釣竿を下してもらって、それで引っ張り上げてもらおうと思ったわけですが、お互い小学生でしたし、海面から岸壁の上までは二メートル近くあって、どうにもなりませんでした。

しかしその時、東京から遊びに来ていたという男の人がその騒ぎを見つけて、私を助け上げてくれました。その方は名前も告げずに立ち去ってしまったということでした。私は、そのときの岸壁のコンクリートの小さな砂利の粒の色や形まで、今でも鮮明に覚えています。

このように、小学校を出るまでに覚えているだけで三度、死に損なったわけですが、成人してからも、オートバイに乗っていたこともあって何度か危ない目に遭いました。しかしこれは、今にして思えば私が記憶しているだけのものに過ぎません。つまり、自分では気づかずに死と隣り合わせであったということもあったはずです。

この文章を読んで下さっている皆さん方の中にも、きっと今まで生きて来られた中で、死んでもおかしくないと思われるような危ない場面に遭遇されている方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。あるいは、大きな病気をされたり…といった方もおられると思います。

つまり、私たち人間は、いつ死んでもおかしくない…というよりも、生きていることの方が稀であるとも言えるのではないかと思うのです。「有り難い」という言葉がありますが、まさに「有ること難し」なのだと思います。

そこで、佛教の世界での言い伝えに、次のようなお話があります。


お釈迦さまが、あるとき三人のお弟子さん方に次のような問いかけをされました。

「あなた方は、どのようなときに自分が生きているということを実感しますか?」

一人のお弟子さんは、「誕生日を迎えて、ああ、自分はまた一つ年をとることが出来た。そのようなときに生きていることを実感します。」と答えられました。そしてもう一人のお弟子さんは、「いや私の場合は、夜寝て、次の日の朝、目が覚めたときに、ああ、自分はまた新しい一日を迎えることが出来た、生きているのだと実感します。」と答えられました。

しかしお釈迦さまは、これら二人のお弟子さんの答えを聞いても何も言われません。

最後に三人目のお弟子さんが、「私は、吐いた息を吸ったとき、まさにそのときに生きている自分を実感します。」と答えられ、お釈迦さまが「その通りである。」とおっしゃったということです。

このように、私たちはいつ命を落とすことになるか分からない、非常に弱くて危うい存在であるのに、普段の生活においては生きている瞬間をそれほど大切に扱っていないということです。今生きていることの有り難さを本当に実感している人は、この一瞬、次の一瞬を懸命に生き切っておられるのではないかと思います。吐いた息を当たり前のように吸えると思っていても、いつ何どき吸うことが出来なくなるか、それは私たちには分からないのであります。