坐禅会のご案内

「私は、一体どこから来て、どこへ行くのだろうか…」

幕末から明治の激動期に活躍したある方が、「自分は、死んでも行くところは分かっているから、葬式は要らないよ」と言われたという。確かに、それならば他人に、この世からあの世への引導を渡してもらう必要はない。

禅の問答に、「父母未生以前の自己」を問う場面があります。つまり、父や母が生まれる前の自己とはいかなるものか、という問いかけであります。科学万能と言われるような時代ではありますが、科学的に説明の出来るような代物ではありません。しかし、この問いかけに答えようという道があります。…それが、坐禅であります。

佛さまのことを「如来」と言うことがありますが、「如来」とは「来るが如し」…。では、「どこから?」ということであります。

最近読ませていただいた本ですが、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の中に、「二人の人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じあうとき、すなわちそれぞれが自分の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。この「中心における経験」のなかにしか、人間の現実はない。」という下りがあります。

ここで言う「自分の中心」とは何なのか。坐禅は一面において、それらの謎への探求の旅なのだと私は思います。

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妙性寺では月に一回、第二火曜日、夜7時30分から、細々と坐禅会をしています。電気の明かりを消し、ロウソクの明かりの中で静かに坐ります。40分ほど坐った後は、お茶を頂きながら、いろいろお話をしています。

ご興味のある方は、まずはメール(お問い合わせフォーム)にてお問い合わせください。
お待ちしております。

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