K氏は、走る軽トラックの荷台の上で仁王立ちしながら、村の祭りの陣頭指揮を取っていた。
村から出征した多くの人が戦地で命を落とす中、K氏はただ一人帰還した人で、七十歳を越えてなお、その風貌はやはり群を抜いていた。
K氏は私を見つけると荷台から降りてきて、そのいかつい両手で私の手を固く握り締めながら、「臼井君、早く坊さんになれや」と唐突に言った。
…長野の野菜農家での住み込みの仕事を終えた私は、横浜にアパートを借りて、植木のレンタル会社の社員になった。
仕事先は主にオフィスや喫茶店等で、植木の様子を見ながら定期的に入れ替えたりするのが仕事だったが、結局、十ヶ月ほどで退職した。私は、出家をせずとも自分の力を発揮する場所がないか迷い続けていたが、悶々と考えあぐねる日々の中で、数年前に北海道・礼文島へ旅行に行った時のことを思い出した。島で世話になった民宿のおかみさんに気に入られて、「今度来るときは、冬の昆布漁の手伝いに来てくれないか」と誘われていたのだった。
私は、心機一転になるかもしれないと思い北海道行きを決心しかけたが、この時、同時に山梨のお寺のことが頭をよぎった。お世話になったあのお寺に、もう二度と行くことが出来なくなるかもしれない、やはり何が何でも山梨のお寺には一度あいさつに伺い、お礼を言ってからでないと旅立てない、と私は思った。
そこで、お寺の分と、総代のK氏宅の分と二つの手土産を携えて、私はその日、懐かしい村の道を歩いていたのだった。
…K氏は、握り締めた私の手を離さずに、とにかく家に寄っていけと、半ば強引に私を引っ張った。
私は、K氏宅へもお寺へのあいさつの後に伺うつもりであったので、ここは後先になるけれど、されるがままにK氏宅にお邪魔することにした。
私と数年ぶりに再会したK氏は、私を目の前にしっかり据えて、今朝方、孫のM君の夢の中に私が現れたのだと、不思議なことを言った。K氏も、孫が不思議なことを言うなといぶかったそうだが、果たして現実に私が現れた。
K氏は私に詰め寄るように迫りながら、「早くお坊さんになれや」と、また言った。
結局私は、北海道行きのことを話せずじまいになってしまったが、これから日が暮れるまでにお寺へもあいさつに行きたいからと言って、曖昧な態度のままK氏の家を後にした。
K氏の家からお寺までの道のりは山道を三十分程度歩くほどであったが、あれこれ思い返しながら歩いているうちに、私はあっという間にお寺の門が見えるところまで来てしまった。杉木立の中、静寂に佇む寺を真正面に見据えながら、私は一歩一歩、地面を踏みしめた。
お寺の懐かしい門がいよいよ迫り、もう目の前にはお寺の敷居があった。
すると、私の左足はいとも簡単に、本当にごく自然に、まるで当たり前のことを当たり前のこととしてするように、すっと敷居を跨いだ。
…その瞬間、私はすっきりと吹っ切れた自分を知った。
出家に対するためらいが、すっかりなくなった瞬間だった。(終)